旅をする知

ソーシャルワーカーとして、旅をするように学ぶ。それは形を変えても生き続ける。

視点の環境依存に気付く

はっとした。
これまでの療育での3年間は子どもと親の視点に徹しようとしてきた。しかしこれからは教育委員会や先生との距離が近くなり。無意識に学校視点にもなりつつあるのか…?
最近の多くは、学校の授業の行動観察、校内会議、教育委員会主催の先生たちと研修。
それはそれで、めちゃくちゃ勉強になるし楽しい。

ただ、驚くほど自分の視点が今いる拠点に依存することがわかる。
そもそも、学校は時間があまりになさすぎて、子どもたちの情報が、端的な「気になる子」というラベルでしか伝わってこない。
その、気になる子もいすぎて、頑張って共有する時間を取っても一瞬。
その一瞬の時間をもらうのにも、先生たち良い人たちすぎて、いつも頑張りすぎてて、過労死レベルすぎて申し訳なさしかない。
そして、その誰にも余裕がない環境だからか、思ってたより、すぐに薬につなげられてた子が多すぎる。あのー…ちょっと、支援方法をゼロから考え直して私がしばらく直接見ても良いですか?っていいたくなる。

普通級での困り感の発見→支援検討→環境調整→必要なら支援員か通級指導→普通級での定着支援→評価とかを全部ワンストップで自分がやれたらいかに幸せなんだろう…と思いつつ、それは甘えで、そんなスムーズなワンストップのようなチームを作ることが自分の役割。チームの力を高めることが価値のあること。難しいけど頑張ります。

障害は医学モデルではなく社会モデルでありたい。
そこを考え始めると、子どもの環境だけではなく、先生達の働く環境や、親の働く・子育て環境や…もー、みんなそれぞれ頑張ってるし生きづらいし、世の中環境による障害ばっかりで、わけがわかんなくなるね。
周りが見えれば見えるほど、私の前の口癖の「子どもの気持ちはどうなの?」「この子は本当にそれで楽しいの?」「この子は何に困っているの?」ってゆう正論が封印されていく。

それでも、何度も何度も、子ども視点に戻り、環境の情報を客観的に整理しなおし、ストレングスを見つけるところからスタートする。
子どもも、親も、先生も、全員大切な人たちだから、みんなで一緒に幸せになりたい。
それを、ただの正論を突きつけるのではなく、みんなで一緒にベターを考え、バランスをとって前に進めるように。

 

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