旅をする知

ソーシャルワーカーとして、旅をするように学ぶ。それは形を変えても生き続ける。

就労とはについて考えはじめた

 

最近は、就労とは…についても考えることが多くなりました。
どうしたら、大人が自分らしくわくわく幸せに働けるのか、そのヒントが逆に、障害者就労支援にあったり。
私も逆に利用者として、こんな素敵なB型事業所で働きたい!と思うこともある。

また、今までは現場にいて描いた理想を一瞬で実践し形にすることができていたけど、間接的になるとそれもまた違ってきておもしろい。
他人がやってることなのに、少しでも自分の価値観や理想とズレると、悔しくて怒りに変わることもある。
自分の理想が正しいとは限らないって分かってるけど、
利用者さんのため、と言われることが、本当に利用者さん視点なのか?とモヤモヤすることも。
そもそも、「仕事だからね、お金もらってるからね…我慢するのが当たり前だよね…」という社会一般常識とのバランスの難しさ。
きっと、理想を持ち続けていく上で、「健常者だって我慢して働いているよね」という風に言われることもあると思う。
一般企業だって、社員のモチベーションや働きがいや生産性などのバランスをとることは難しいと思う。
だからって、このままでいいの?
今だって、ギリギリまで我慢して、自殺する人はいるし、心のバランスを崩してしまう人はたくさんいる。
そもそも、働くとは何か、自分らしくとか幸せにを持ち込む必要があるのか、改めてゼロからスタートしないと。

私の今まで関わってきた大切な子どもたちを、せっかく心に火をつけてきた子たちを、今のままの社会に出せるのか。
想像以上に、出せる場所、地域、少なっ!の衝撃がでかすぎる。
当たり前にやってきた、子ども主体の教育や支援スタイル、自己決定や配慮や強みを生かすなども、就労先では当たり前じゃない。公教育でも当たり前じゃないけど、就労はさらに理想的な認識への溝が大きすぎる。

キラキラな子どもたちが働いた先で、理想とのギャップや環境や関わる人次第で2次障害になってしまったら…ということを想像するだけで、吐き気がする。
診断、教育、就労支援、その先の受け皿がないと、やって意味あるのか…と思うこともある。
ケースワークとして目先の幼児や児童だけ見る危うさを感じた。
つなぐ先が重要すぎる。
でも、良い面でも悪い面も、いったんまずは今の社会の現実を受け入れてみる。
きっとそこからはじまる。

「障害あるなしに関わらず、自分らしく幸せに働くとは何か」も、しばらく学びのテーマになりそう。